「物分りが良い事が、よくないって事なのか?」
怒っているようでもあり、困っているようでもある。そんな相手の態度に美鶴は少し瞳を泳がせ、逡巡してから小さく口を開いた。
「そうではないとは、思うんだけど」
「じゃあ、どういう事なんだ?」
少し詰め寄る。
「俺は、ツバサを怒鳴ったりすればよかったのか? 俺を疑うなって、怒ったりすればよかったのか?」
垂れた瞳には、切羽詰ったような感情が浮かぶ。
「俺は、どうすればよかったと思う?」
どうすればよかったのか?
「そんな事、ツバサに聞けよ」
「ツバサは答えないよ」
コウは床を睨む。
「悪いのは自分だ、なんて言葉で誤魔化すに決まっている」
誤魔化す。
チクリと、美鶴の胸に刺さる。
悪いのは自分だと非を認める事が、どうして誤魔化す事になるのだろうか?
理由はわからないのに、なぜだか誤魔化しているという言葉に、納得してしまう。
「ツバサは悪くない。醜くも汚くもないのに、本人はそう思い込んでいる」
コウは再び美鶴と向い合う。
何も言わないままこちらを睨むように見てくる相手に、美鶴は観念したような気持ちで窓の外へ視線を投げた。
何で私は、この二人の間に入っているのだ?
「お兄さんへのコンプレックスが抜ければ、あるいは変われるのかもしれないけど」
ツバサ自身はそう思っている。
「原因は一つだけではないのかもしれないけど、お兄さんが原因の一つではあると思う」
「だから兄ちゃんに会いたいと?」
「本人がそう思っているんだ。会うまで納得はできないだろうな」
「あのぶんだと、そう簡単には会えそうにもないとは思うんだよな」
うんざりしたような態度に、美鶴がチラリと視線を送る。
「逆を言うなら、お兄さんに会えば、どういう展開になろうとも、ツバサはそれなりに納得はするのかもしれない」
「納得?」
「お兄さんに会って自分が望むような結果が得られればそれに越した事はないだろうけれど、もし望むような展開にならなかったとしても、ならばどうすれば自分は前向きになれるのか、次の手を考えると思う」
「ツバサは前向きだぜ」
「本人はそうは思っていない」
ピシャリと遮る。
「そして、その原因はお兄さんだと思い込んでいる。だから、他に目がいかない」
空から視線を外し、コウと向い合う。
「お兄さんに会わないことには、進む事も退く事もできないって事だ。特に、すぐ近くに居るとわかってしまった今、諦めきれないといったところだな」
「ずっと探してきたんだしな」
二人して息を吐くと同時、予鈴が鳴る。
コウが軽く片手をあげた。
「悪かったな、貴重な休み時間を潰しちまって。でも助かったよ」
本当にホッとしたような表情。
「ツバサの事で話せるヤツって、なかなかいなくってさ。特に女心ってヤツがわかるのなんて、お前以外には思い当たらねぇし」
女心。
なんだか全身が痒くなる。
「別に、私はお前なんかを助けるつもりはない」
なぜだか頬が紅潮するような気がして、素早く背を向ける。
「妙なトラブルに巻き込まれるのは御免だしな。この間みたいに、お前に掴みかかられるのも御免だし」
途端、背後から少し冷えた空気が流れた。廊下は寒い。だが、その寒さとは違う。
「あの男と、まだ会ってるのか?」
あの、男。
無言で踏み出した美鶴の背中へ、コウがもう一言。
「あの男は辞めておけ。見るからにヤバかった」
その言葉にもまったく反応を見せず、美鶴はそのまま廊下を曲がって姿を消した。その姿に小さくため息をつき、自分も教室へ向かおうとクルリと身を反転させた。そうして思わず大口を開けた。
「うわっ」
慌てて両手で口を押さえる。そんなコウを見下ろすかのような二つの長身。
「偶然だな、蔦」
意味ありげに口元を歪めるのは聡。
「こんなお寒いところで、何の密談かな?」
アカラサマに眉を寄せるのは瑠駆真。
「み、密談って、別に」
二人に見下ろされて一歩下がるコウ。その退路を聡が素早く遮る。
「密談でなかったら、何なのかな?」
「な、何って、べつにそれは。お、お前らこそこんなところで何やってんだよ?」
「何って、そりゃあお前、偵察だよ」
「偵察?」
「そ、お前が最近、休み時間にやたらと美鶴を呼び出してるって話を小耳に挟んだもんでね」
「よ、呼び出してるって、俺は別に」
だが、思い当たる節がないわけではない。そもそも美鶴は学年内でも目立つ存在だ。その存在を別のクラスの、しかも男子が呼び出したりすれば、たとえ一回や二回くらいであったとしても、それは噂となって広まるだろう。
「別に、大した話じゃない。それよりお前ら、いつからココに?」
「いつから? 君と美鶴がここに来て程なくだよ」
「はぁ?」
「そこの視聴覚室に隠れてたんだ。気付かなかった?」
「お前らって」
「そんな事よりこっちの話」
「そうそう。美鶴と何を話してたんだ?」
「だから、それは大した話では」
「大した話じゃない? あっそ。じゃあ、俺たちに話してくれてもかまわないよな?」
「あわっ、それは」
「何? 話せないって言うワケ?」
「美鶴を勝手に連れ出しておいて、それはないよなぁ?」
聡がポンッとコウの肩を叩く。
「俺が涼木と仲良く話してたって噂が立った時は、えらくご立腹だったよな? ならわかるよな? 俺の気持ちもよ」
「なっ」
サッと頭に血が昇る。
恥だとは思っていない。ツバサが他の男と噂になって嫉妬する自分を恥じた事は無い。だが、やはり周囲が見えなくなって暴走するのは、醜態だとは思う。
「あれとこれとは別の話だ。関係ない」
|